麻沸湯論の現代語訳

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ご挨拶

このたび、“愛媛 麻酔の歴史 友の会”(代表 土手健太郎)を立ち上げました。

愛媛の麻酔や医学の歴史について語り合いたいと思います

今回、麻沸湯論の全訳を掲載しました。

麻沸湯論は、1839年(天保10年)に、華岡青洲の一番弟子であった鎌田正澄玄台が、麻沸湯による全身麻酔の方法を、門弟の松岡肇に口述筆記させたものです。

鎌田正澄玄台は、1794年、伊予大洲に生まれました。18才の時、紀伊の華岡青洲の門に入り、青洲の下で学ぶこと5年で、青洲も正澄の学業を歎称して「桂州」の号を与えたほど優秀でした。伊予大洲に帰郷後、家業を継ぎ開業し、青洲から学んだ医術を応用して多くの難病を治療し、名声を挙げ、藩医に列せられました。青洲が亡くなった後に、西では鎌田玄台、東では本間玄調が青洲の傑出した門人と賞されました。

彼は著述家としても著名で数々の著作を残しています。1837年(天保8年)には外科起廃図譜を出版し、1839年(天保10年)には、麻沸湯論を、門弟の松岡肇に口述筆記させています。麻沸湯論はその後外科起廃の第一巻の巻頭となり、1854年(天保10年)に出版されています。

麻沸湯論には、麻沸湯(散)を用いた全身麻酔の術前管理、導入・維持の要点、術後の注意点などが詳しく書かれており、華岡青洲の行った全身麻酔法の詳細不明であった部分がこの麻沸湯論によって初めて詳しく知ることができます。また、麻沸湯論は、外科起廃のなかで、他の疾患群の記載の前に、第一巻の本文の最初の独立した章として書かれており、最も初期の時代の臨床麻酔の手引きと考えられます。麻沸湯論は1839年に書かれており、1846年のモートンや1847年のスノウの記述よりも前に書かれており、麻沸湯論は麻酔科歴史上の非常に重要なものと考えています。しかしながら、この麻沸湯論は現代語への全訳はなされておりません。そこで、ひとつひとつの漢字の意味を吟味しながら麻沸湯論を現代語に訳しました。この訳を愛媛大学医学部麻酔・蘇生学教室のホームページに麻沸湯論の原文と共に掲載しています。
2011年9月6日 原文英訳を追加掲載しました。

愛媛麻酔の歴史友の会代表:土手 健太郎(愛媛大学医学部附属病院 集中治療部)

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