野元先生雑感

2016年02月12日

小寒 (しょうかん)第3次坂の上の雲 1月6日

1月6日 小寒
中予は最低気温は7.1度、最高気温は11.3度である。この時期としては、暖かい1日である

 

第3次坂の上の雲

医師は、目の前の病む人のために全力を尽くしている。何をするべきかは、患者さんの病状によって異なり、風邪症状での受診であれば、インフルエンザを検査して、検査結果と症状に応じて治療薬を処方し、生活の工夫をアドバイスする。肺炎や悪性腫瘍、神経変性疾患、自己免疫疾患など重篤な病気が疑われるなら、検査を進めて診断結果に応じて治療を行う。いつの時代も変わらない普遍的な段取りであるが、時代によって異なる点もある。

現在の日本医療で、これまでの時代と最も異なる点は、新しい治療の開発である。改善できない病状や疾患に対して治療の工夫はこれまでも進めていた。しかし、以前と異なることは薬学分野の発展である。江戸から明治に入り薬師(くすし)は医師となり、草木で作製していた薬は海外から導入するようになった。同時に薬を管理する薬剤師も導入された。

日本の近代化と産業の発展に伴い、繊維業などの軽産業、次にラジオ、テレビなどの電機産業、さらに自動車産業が発展し世界に貢献してきた。現在はこれらの産業は東南アジアやインドへ、またアフリカの産業として発展しており、自動車産業も主要な活動の舞台は海外となっている。

一方、薬学も大きく発展し新しい薬を生み出せるようになっている。2014年の統計によれば、世界で最も貢献している治療薬100品目について調査すると、約半分の49は米国の会社が開発し、2番目は日本で15、3番目は僅差の14でイギリスとなっている。ただ、薬を生み出したのは日本の会社であるが、病気の治療薬として開発したのは米国の医療機関で、治療薬として対象疾患や症状、用量用法が研究されてから日本での確認治験が開始されるために、海外と比べて日本での治療ができるのは数年後になる。海外の会社が創った薬ではさらに遅くなっている。

これまで私たちは治療の工夫は行ってきたが、薬学との共同で治療薬を開発することは多くなかった。創薬はこれからの日本の医療機関、医師にとって強く要請され、世界に貢献できる業務である。

 

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 出典:医学界新聞 20121126号 野元正弘