野元先生雑感

2016年09月06日

白露(はくろ)恩師について 9月7日

9月7日 白露  恩師について
今年の夏は暑さが厳しかったが、9月になり、少し、過ごしやすくなった。新聞を取りに出て涼しさを感じる。
「朝刊の ポストを開けて 秋を知る」

 

恩師について

恩師というと、「仰げば尊し」という、以前、卒業式で歌った、あるいは歌わされた旋律を思いだすだろう。この歌は、明治17年に発表されたが、原曲はSong for the close of school といわれている。原曲ではGodとfriendsが歌われるが,先生は出てこないので、恩師は日本での作詞であろう。恩師はmentorとも訳される。自分の行動の目標、あるいは模範、指標としている方を呼んでいる。私は多くの方にお世話になり、現在に至っている。高校時代に数学を教わった塩盛先生、医学部を卒業し入局した講座の教授であった井形先生、大分県立病院部長(院長)の永松先生、薬理学講座へ誘っていただいた福田先生、愛媛大学へ赴任してからは2人の大橋先生(大分大学副学長、前臨床薬理学教授と愛媛大学学長、前眼科学教授)に大変お世話になった。

多くの先生に大変お世話になっているなかで、私にとってのmentorは井形昭弘である。鹿児島大学の学長をされ、その後愛知県にある国立長寿医療センターの病院長、愛知県健康プラザ所長、愛知学芸大学の学長であった。残念なことに先月、急逝されたが、亡くなる直前に東京で会食する機会があった。翌日のopen campusでは高校生に受験してもらえるよう、学長として学校の魅力をPRしすると準備しておられ、朝8時前の新幹線で帰られた。常に自分の担当する職責に全力で取り組まれていた。私は医学部を卒業して2年間の研修の終わる頃は、5-6年したらクリニックを始めたいと考えていたが、井形先生から当時の新しい分野であった神経伝達物質を調べることを勧められ、今に至っている。診療では終末期の医療に携わることは多かったが、日本尊厳死協会の四国支部長を担当することになったのも、井形先生の勧めがきっかけであった。判断に迷う時には、「井形先生であればどうされるか」と考えて決めるようにしてきた。

皆さんも、これから多くの方と関わって、成長していくと思う。多くの人と出会い、その中で自分の行動、判断の基準になるmentorを持つことをお勧めする。

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