教室沿革
愛媛大学は1949年5月31日、国立学校設置法が公布され、新制国立大学69校とともに愛媛大学が設置された。医学部は1973年9月29日に1県1国立医科大学(医学部)という国の施策に則り、新設医学部の一環として基礎医学講座8講座で発足した。
本教室は1976(昭和51)年4月1日愛媛大学医学部整形外科学教室として開講、現在に至る。
初代野島元雄教授(1976年4月1日~1986年11月15日)、第2代柴田大法教授(1987年3月1日~1999年3月31日)続いて第3代山本晴康教授(1999年11月1日~2010年3月31日)、現在は第4代三浦裕正教授(2010年4月1日~)が主催し、開設以来の同門数は約200名を数える。
主たる臨床活動の変遷
初代野島元雄教授(現愛媛大学名誉教授)が1976年4月に赴任し、当教室を開講した。当初は野島教授の他、藤井充助教授(1980年4月1日より宇和島社会保険病院院長として赴任、地域医療の発展に貢献した)と助手3名計5名であり、診療開始に向けて準備を始める。
同年10月の医学部附属病院が開院するとともに講師2名、助手3名が加わり定数10名で教育、診療に携わった。脊椎外科、骨軟部腫瘍外科、関節とくに股関節外科、人間工学的整形外科、手の外科、神経筋疾患、リハビリテーション医学の柱を立てつつも専門化に陥ることを避け、有機的連携のもとに教育、研究の責務を念頭に置き臨床活動を行った。
特に神経筋疾患に関しては野島教授が厚生省(当時)心身障害研究進行性筋ジストロイフィー症臨床研究班のメンバーであり、臨床のみならず基礎的研究も活発に行われた。
1979年からは田部井亮教授が主催する第2病理学教室(当時)との共催で骨腫瘍検討会が毎週開かれた。1981年7月1日から柴田大法助教授(現愛媛大学名誉教授)を迎え、骨軟部腫瘍をはじめ、関節外科・リウマチ関連疾患、脊椎外科とその守備範囲は多岐にわたり臨床、教育、研究の各分野で大きな力となった。
第2代柴田大法教授は骨軟部腫瘍を専門としていたが、リウマチ・関節外科、脊椎外科など整形外科学全般にわたり深い造詣と卓越した技術で教室員をはじめ関連病院のレベルアップに貢献。
特に骨軟部腫瘍に関しては、いち早くEnnekingのSurgicalStaging Systemを取り入れ治療体系を確立した。
第3代山本晴康教授は膝・足の関節外科、スポーツ医学、内反足などの小児整形を専門にしていた。
これらの分野で、当教室の臨床面でのレベルアップに貢献するとともに、日本足の外科学会、日本臨床バイオメカニクス学会、日本小児整形外科学会等の学会を松山で開催した。
臨床面では、前十字靱帯再建において世界最先端である屈筋腱2ルート再建術を愛媛に導入したこと、CORA法を用いた外反母趾手術を世界に先駆けて導入したこと、踵骨骨切り併用外反母趾手術を標準化したことなどは、山本教授の特筆すべき業績である。
また今後の整形外科医師のあり方として、個人として専門分野を持つことの大切さと英文投稿の重要性を同門会員に周知した。任期中の英文投稿論文は飛躍的に増加した。
第4代三浦裕正教授は膝関節外科を専門とし臨床・研究・教育に尽力された。
臨床においては、2014年4月に臨床部門、研究部門、手術教育部門、オステオサイエンス部門の4部門からなる統合型人工関節センターを設置され、THA、TKAの手術件数を飛躍的に増加させた。傑出した手術技術をもち、若手医師への直接指導、Cadaver Surgical Trainingの推進により県内外の膝関節外科の治療水準を大きく向上させた。
研究においては、統合型人工関節センター設置に伴い、膝関節を中心としたバイオメカニクス研究を推進し、人工関節や関節疾患の研究を大いに発展させた。学会活動も精力的に行い、国際学会では2013年にICJRを主催、全国学会では第44回日本臨床バイオメカニクス学会、第47回日本関節病学会 Combined with 11th APOKA、第50回日本人工関節学会などを主催し、日本人工関節学会理事長も務めた。
教育においては、手術教育に加えて、入局者の増加にも大いに尽力された。『現状維持は後退なり』をモットーとされており、常に探究・自己研鑽をし続ける姿勢は、整形外科教室員に大きな影響を与えた。
愛媛大学副学長、愛媛大学附属病院病院長の役職も兼任され、愛媛大学の発展のため粉骨砕身務められた。