医局のあゆみ

1973-1991年初代 小林 讓 教授
(初代附属病院長 1976~1978年)
(附属病院創設準備室長 1975~1976年)

愛媛大学医学部内科学第一講座は、1973年(昭和48年)愛媛大学医学部設置とともに開設された。新設医大の中では最も早くスタートした内科学教室である。小林 讓教授(現名誉教授)、太田善郎助教授(前佐賀県立病院好生館館長)、藤田 繁講師(前教授,名誉教授)、松本 勲講師(前松山赤十字病院副院長)らが発足当時の主なスタッフであり、1977年当時の医局員は僅か12名であった。診療部門としては、感染症、血液、膠原病、消化管、神経などが対象疾患であったが、特定の領域にとらわれることなく、内科疾患一般を広く診療することを目標に掲げて診療を開始した。研究面では、小林教授、松本講師を中心とした感染症、膠原病に関する研究と、太田助教授、藤田講師を中心とした血液学、人類遺伝学に関する研究を前任地から引き続き継続するとともに、若手研究者を国内研究施設に派遣し、新しい研究領域の導入にも努力した。1979年には待望の愛媛大学卒業第1期生が入局し、その後も他大学からの入局者も含め教室員は増加し、臨床教室としての土台造りが完成した。1990年には小林教授が会長として第64回日本感染症学会総会を開催し、また同年、多くの国内外研究者参加のもとに国際レプトスピラ・シンポジウムを松山で主催した。

1991-2005年第2代 藤田 繁 教授
(附属病院長 1997~1999年)
  

小林 讓初代教授の定年退官に伴い、1991年6月に藤田 繁助教授が第2代教授に昇任した。県下の医療施設との連携もさらに進み、紹介患者数も増加した。内科臓器別診療移行に伴い、血液、膠原病、感染症、消化器(消化管)を専門とした診療体制が確立した。血液学・臨床免疫学・感染症学における研究面でも着実に成果を挙げ、権威ある国際誌に多くの論文を発表できるようになった。また、科学研究費をはじめ多くの競争的研究費も獲得できるようになった。1997年には藤田教授が会長として第25回内科学の展望を松山で開催した。1998年には松本 満助手が徳島大学分子酵素学研究センター教授に昇任した。2005年、藤田 繁教授は退官し、市立八幡浜病院院長に就任した。

2005年-2018年第3代 安川 正貴 教授
(医学系研究科長・医学部長 2011~2015年)
(副学長 2015年~2018)

藤田教授の退官に伴い、2005年10月に安川正貴助教授が教授に昇任した。独立行政法人化、卒後臨床研修義務化、2006年度からの愛媛大学医学部大学院部局化などの大きな変革期における教授就任であった。これまでの一貫した教室運営方針を踏襲するとともに、高いレベルの総合内科診療能力を基盤とした専門性を有する内科医の育成に努めている。また、臓器横断的がん診療が実践できる腫瘍内科医や感染症専門医の育成にも尽力している。研究面では、研究成果を臨床に還元できるトランスレーショナルリサーチの推進を掲げ、我が国初のがんに対する免疫遺伝子治療の臨床研究が開始されるに至った。2014年、堀内孝彦元講師が九州大学病院別府病院内科教授に就任した。また、多くの全国規模の学会を教室主催で開催した。2010年には第2回血液疾患免疫療法学会(松山市)、2013年には第4回日本血液学会国際シンポジウム(松山市)、2014年には第88回日本感染症学会(福岡市)、第18回日本がん免疫学会(松山市)、ならびに第21回日本輸血・細胞治療学会秋季シンポジウム(松山市)などを開催した。2018年、安川正貴教授は退任し、愛媛大学プロテオサイエンスセンター 免疫制御学部門 特命教授に就任した。

2018年- 第4代 竹中 克斗 教授

安川教授の退任に伴い、2018年5月に九州大学病院 血液・腫瘍・心血管内科 竹中克斗講師が教授に就任した。